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XuDiShan

許地山研究ノート

許地山の道教研究について

発表レジュメ於日本郭沫若研究会・日本聞一多学会 共催シンポジウム「中国近代の文学と学術」、2005年6月

問題の所在

 許地山(1984-1941)は、燕京大学で宗教学を専攻し、公刊された道教研究の専著2点の他にも未刊の文献学的成果があるように、宗教学者としての側面がある。ただ彼の文学に見られる宗教的色彩を論じることはあっても、こうした学術研究それ自体の研究はあまりなされていない。本報告では、許地山の道教研究を概観し、今後の研究の準備としたい。

許地山道教関係著作

道教研究の意義

 許地山は、宗教は人に人生の理想と目的を与え、社会改善の意志を促し、欲望を抑制するために社会にとって必要なものだと考えた。現代の中国には「実行しやすく」「誰でも学ぶことができ」「道徳情操を高め」「科学精神がある」「感情が豊か」「世界性がある(コスモポリタン的?)」「生活を重視する」「情理を一致させる」といった属性を備えた宗教が必要である。しかし、中国古代の「礼」の宗教は弊害が多いし、近代になって輸入された仏教やキリスト教は中国人の国民性に合わない部分が多いので、今の中国にぴったり合う宗教は今のところ存在しないと述べる(「我們要什麼樣的宗教?」)。なお、キリスト教は発展次第では理想の宗教になれるかもしれないと付言する。ちなみに本人はキリスト教徒だった。この時点ではまだ道教についてきちんとした言及がない。
 しかし許地山は、その後道教に理想の宗教としてのわずかな可能性を見出していたようである。というより中国独自のという点で道教に見出さざるを得なかったのだろう。「道教の信仰は、中国の哲学に与えた影響が大きい。その内容はある種の基層的な共生主義である。「道」は実際のところ中国の生活方式なのだ。」(「今日之道教」)と始まる講演記録で、許地山は、道教が中国社会に普遍的な宗教現象であることを論じ、有限な人間が無限の宇宙法則にかしづき、それが父母への「孝」のような社会規範につながって、人間社会を支えていることを述べ、また特に近代の秘密結社に注目している。紅卍字会のような道教思想を基本とする近代の秘密結社が海外にまでボランティア活動に赴いているのは、中国伝統の個人主義と矛盾することから、ここに近代中国人の新たな精神を見いだし、古き「道」に現代的な意義のあることを述べる。またこの講演で、許地山は道教の降霊術によりキリストや聖パウロが降りてくることに触れ、「身体は一時のもので、霊魂こそが永遠のものだ。だから宇宙最後の真実は道と徳だ」といった啓示の言葉を引用し、道教が儒教仏教だけでなく、キリスト教やイスラム教を取り込んでいる点に注目している。

道家と道教

 「私たち中国人の日常生活の習慣と宗教信仰からすると、「道」の成分は「儒」よりも多い。中国人一般の理想と生活は道教思想にあって、儒は倫理の一部分を占めるに過ぎないと言えるだろう」と考える許地山は、論文「道家思想與道教」において、現在の道教の源流にあたるものとして「老子」に始まる道家思想とそれを支える「易」の思想を論じ、そこに暦法・風水・金丹道などが加わって、現代の道教の直接の祖先である後漢の五斗米道が誕生したとした。
 こうした立場は、「道教史」においてより具体的に論じられることとなった。同書では「上編は道家と道教の種々の法術を、下編は道教発展後の教相と教理を論述する」ことが計画されたが、残念なことに上編のみが出版されるにとどまった。今その目次をあげると道教前史として「道の意義」「道家思想の建立者老子」「老子以後の道家」「道家の最初の派別」「秦漢の道家」「神仙の信仰と追求」「巫覡道と雑術」の各章に分かれ、道家の記述に全体の三分の二が割かれ、道家思想を重視していることが分かる。
 ここで道教研究史として注目されることは、許地山が道家を哲学思想、道教を宗教現象として明確に切り分けた上で、論じていることである。日本では一般に、道家は哲学、道教は宗教という風に区別されてきた。しかしこうした切り分けは近代になって西洋の学問が導入され、哲学と宗教学という方法が使われるようになって以後のことで、現在は道家と道教を完全に区別することはしない。実際、他方中国では道家思想に雑多な思想や信仰を取り込んで堕落して道教になったと考えられてきた。これは『四庫全書総目提要』「道家類叙」という18世紀当時の公式見解において示されるように、中国の伝統的な見解である(福井2000)。ただ日本的な見方にしろ、中国的な見方にしろ、そこには道教は卑俗なものという価値判断と、にも関わらず現代の中国で支配的な思想であることについては見解が一致している。許地山はこうした伝統的な見解にのっとりつつ、新しい哲学と宗教という二つの学問を用いることで、道家思想を道教の源流として再定義しようとしたといえる。
 ※許地山が具体的に参考にした西洋の思想家・著作について検証すること。

社会心理の反映としての降霊術

 すでに指摘したように、許地山は道教に中国人の精神を見たが、それは直接には古代の道家だけにではなく、許地山が生きていた当時の道教に対してからでもあった。
現代においても流行している降霊術の類は近代的知識人からすれば単なる「迷信」でしかないはずが、しかし当時高等教育を受けていた者の中にさえ信じている者が少なくなかった。許地山はこうした降霊術は科学的でないのみならず、社会的規制力がないので宗教としての価値もないとした。降霊術で降りてきた神仙が道徳教訓を諭したとしても、私利私欲にまみれた役人は降霊術を信じていても実際には神仙の命を守らない。降霊術で降りてきた許地山は降霊術を近代的な学問をもって研究する必要性があるとした。というのも降霊術が示す結果は神霊の啓示ではなく、自身の心霊がおこした怪異現象なのである。だから降霊術で語られる内容には中国民族の道徳行為と社会政治生活が反映されていると許地山は考えた。(『扶箕迷信底研究』)。こうした人間中心主義的態度は、民国期の学者に広くみられる傾向であろう。
 もっともここで注意するべきことは、許地山の考えていた近代的な学問とは「変態心理学」「心霊学」といった、現代で言うオカルトの類であったことである。現代に生きる我々(特に研究者)は、つい近代化=科学化としてのみ考えがちであるが、西洋の衝撃がもたらした科学の中に「オカルト」が含まれていた。近代以前の「迷信」は「科学」的な説明により「オカルト」として近代化されたということである。
 実際に、当時の降霊術集団は、エーテルや霊魂などの最新理論と心霊写真や催眠術などの最先端技術を導入し、より「科学」的であろうとしていた。
 ※『扶箕迷信底研究』で引用されている西洋の学術成果をまとめること。

まとめ

 以上見てきたように、許地山の道教研究は、古代の道家を宗教学的アプローチから、古代祭祀と結びつけることによる宗教的な価値付けを行い、現代の道教を哲学的アプローチから、人間の心性の反映と読み解く社会的な価値付けを行ったものといえる。もちろん彼の文学作品や『扶箕迷信底研究』の諧謔あふれる語り口からも分かるように、宗教に対して彼の文学的感性が強く惹かれていたのは確かだろう。ただその上で、以上のような彼の研究は、純粋な学術研究にとどまらず、中国固有の宗教である道教の「近代」化の可能性を探るものでもあったのではなかろうか。

参考文献

中国における「近代精神」としての宗教-許地山の道教研究から-

上記発表を元に論文化。日本聞一多学会報「神話と詩」4、2005年掲載

補遺

日本の初期道教研究